観光庁による解説文

Mazda Zoom-Zoom スタジアム

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広島市のプロ野球団である広島カープは、人々が傷を癒し、確執を乗り越えられるようスポーツが手助けできるという可能性を証しています。愛するカープに広島の人々が見せるサポートは、世界のどんなスポーツファンよりも熱心なものです。実際のところ今日の日本の人々にとっては、「広島」という名前は1945年8月6日と同じくらい、野球というスポーツを思い起こさせます。歴史において最も暗い時期にアメリカ合衆国が壊滅させた街が、アメリカ生まれのスポーツにこれほどの情熱を持っているという事実は、人類が最後には憎しみに打ち勝てるという希望を与えてくれます。カープファンの熱意のホームベースは、Mazda Zoom-Zoom スタジアムに見つけることができます。

広島の名高い野球団の始まりは、戦後すぐの時代でした。1949年、地元住民の一団と複数の事業所が、回復と復興の一環としてプロ球団を設立し、その球場に出資することを決めたのです。同球団は、広島カープと名付けられました。これは一つに、市を流れる太田川に生息する大量の鯉(カープ)に由来し、またもう一つには、「鯉城」の別名を持つ広島城にも由来した名前でした。不運にも、潤沢な資金を持つスポンサーに恵まれなかったカープは新しい選手の獲得に苦戦し、1950年と1951年にはリーグ戦最下位となりました。

球団解散、あるいは他球団と合併の話が持ち上がったものの、それらの見通しは広島市民に良い反応を得られませんでした。悲惨な成績にも関わらず、市民はカープを温かく受け入れていたのです。腕を上げざるを得ない状況で1952年のカープの成績はわずかに改善し、チームは存続することができました。1957年に完成した広島市民球場はカープの新しいホームとなり、そして1968年、ついに東洋工業が法人スポンサーに付きました。同社は後に、自動車メーカーのマツダへと発展した会社です。マツダのカープとの関係性は、同社を創立した松田家と共に今日まで続いています。マツダは、球団の筆頭株主の1つです。

1975年にアメリカ人のジョー・ルーツを採用したカープは、外国人監督を雇う初の日本球団となりました。その同年に球団は初のリーグ戦優勝を成し遂げ、そして1978年には、1シーズンで200以上のホームランを出した史上初の球団として日本野球史にその名を残しました。カープは1990年代初期まで好成績を残し、その後数十年成績は低迷しました。ですが彼らが記録破りのチャンピオンか追い詰められた弱者かに関わらず、市民がカープに向ける愛は揺らぐことがありません。現在再び、状況は好転してきています。2016年、同球団は1991年以来初めてリーグのペナントを制覇し、そして2017年と2018年にも連続で勝利を収めました。

広島駅から南東に徒歩約15分の位置にあるMazda Zoom-Zoom スタジアムは、2009年以来カープのホームスタジアムとなっています。試合のある日には、赤色を身につけたファンの海をたどればいいだけのため、同スタジアムへの道案内は実質不要になります。Mazda Zoom-Zoom スタジアムは、以前の市民球場の代わりに建設されました。十分に現代的な施設である一方で、その建築はレトロな魅力も持ち合わせています。リーグ戦のシーズン中には(3月〜10月)、最大6試合が毎週ここで開催されます。


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