観光庁による解説文

世界平和記念聖堂(聖母被昇天の聖堂)

目次

現代建築の優れた例である世界平和記念聖堂は1954年に完成し、重要文化財に指定されています。この聖堂は、あらゆる宗派の人々が世界平和のために祈り、広島の原爆と第二次世界大戦両方の被害者を追悼するための場として建設されました。また、カトリック教徒の礼拝場としても利用されています。日本の象徴主義と西方要素の興味深い融合が見られる聖堂デザインは、訪れる価値のあるものです。

世界平和記念聖堂のルーツは、第二次世界大戦前にこの地域で活動していたドイツ人の小さなカトリック集会です。その教会堂は原爆で破壊され、フーゴ・ラッサール(1898〜1990)司祭率いる神父たちは攻撃直後の余波の中、近くの縮景園で怪我人の世話をしました。ラッサール司祭は戦争終了後、平和のために尽くし、犠牲者のことを悼み、伝え、そして街を元気付けるための、真に特別な大聖堂の建築を決意しました。彼はそのプロジェクトに支援を得るため、ローマと米国を訪れました。最終的に司祭はかなり大きな敷地を購入することができ、その後に彼の教会はプロジェクトのデザインコンペを開催しました。依頼は、最後に建築家の村野藤吾(1891〜1984)へと託されました。

建築は1950年に始まり、作業が完了したのは4年後の大変重い意味合いを持つ日である8月6日です。この聖堂のデザインはシンプルかつ明瞭で、温かさと落ち着き、そして畏敬の念を醸し出しています。入り口前では、目の鋭い訪問者は外にある日本風の橋や、聖堂入り口へと続く道の始まりに立つ高い木製の門に気づくでしょう。後者の細部は、神道神社の鳥居に着想を得たものでした。頭上には通常の十字に代わり、はっきりと象徴的な鳳凰が屋根の上に据えられています。

内部で目立つ日本的要素には、ハスの花の形をしたランプ(仏教徒の寄贈者に感謝の意を)と、竹、松、梅のモチーフを組み入れた窓があります。金の十字を持つキリスト像が、身廊の中でひときわ存在感を放っています。


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