観光庁による解説文

縮景園

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縮景園は、広島にある有名な日本庭園です。同園は何世紀も前から、そして街が最も苦しんだ1945年の出来事を通して、地元の歴史と深い関わりを持ってきました。見るべきところを知る人なら、ここに原子爆弾の傷跡を見つけることができます。ですがそれらは、縮景園の年間を通しての壮麗さをなんら損ないはしません。それどころか広島の痛ましい原爆体験跡は、自然の美しさをどことなく際立たせています。

この庭園が最初に築成されたのは、1620年です。この地域を治めていた浅野家のために、その家老であり茶人の上田宗箇(1563〜1650)によって作られました。縮景園の名前は「縮めた景色の庭園」という意味で、静かな山と川の景色を同園がいかに、美しく歩ける範囲に収めているかを表しています。その規模は、およそ野球場ほどです。

縮景園は、回遊式庭園(「周遊型の庭園」)として知られる日本庭園の典型です。同園の中央には、人工湖ながらも自然な見た目の濯纓池があります。その中には大小14の小島(湖にかかるアーチした石橋の左右に7つずつ)が点在し、近くにある瀬戸内海の島々を表しています。この湖を取り巻く形で、庭園内には橋や低地、茶室、東屋などが注意深く配置されています。

1783年から1830年にかけて、ここでは大規模な改修が実施されました。上田の原案のまま残っているのは超然居とその周囲の景色だけです。1945年8月6日の原子爆弾による攻撃は石橋を除くあらゆる構造を破壊し、縮景園に深刻な損害をもたらしました。破壊された構造物が再建されたのは、戦後のことです。

縮景園を囲む外周には、原子爆弾の傷跡を見ることができます。それには、爆撃の後の大火災を生き残ったとして広島で161本のみ確認された被曝樹のうち、3本が含まれます。1本はイチョウで、触れる人にその生命力の一部を与えると言われています。被曝樹の中で最も大きなもう1本は、縮景園の東側に隣接する猿猴川近くの松の木です。この川の近くには、原爆被害者の慰霊碑もあります。爆撃後に庭園内の簡易墓地に遺体が埋葬されたことを示す写真が見つかったことを受け、その碑が建造されました。


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