観光庁による解説文
峠三吉詩碑
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平和公園内に、峠三吉氏(1917~1953年)に捧げた簡素な記念碑があります。この若い詩人は1945年8月6日の原爆体験に突き動かされ、犠牲者の窮状を力強く伝える詩を書くようになりました。また、たゆみなく、声を大にして反核、平和運動を推進する活動家にもなり、国々を紛争に導く社会的、政治的問題に光を当て注目されていました。
当時28歳の峠氏は、原爆が投下されたとき、爆心地から3km離れた、広島市の翠町付近の自宅にいました。カトリック教徒だった峠氏は西欧や日本の詩人や作家の影響を受け、その頃にすでに数千の作品を書いていました。原爆に関連した彼の最初の詩集、原爆詩集は、彼の入院中、1951年に出版されました。同年、この詩集はベルリン世界青年平和祭への日本からの出品作品の一つとして世界から注目されました。
戦争直後の何年間かは、峠氏の書いたものは、原爆投下やその影響についての貴重な情報源でした。当時はそういった情報は日本では占領軍によって厳重に検閲されていたのです。続く10年間、米国の大統領、ハリー・トルーマン氏(1884~1972年)が核兵器の再使用を除外しようとしなかった朝鮮戦争中、彼は特に声を大きく主張しました。峠氏は1953年に広島療養所で亡くなりました、36歳でした。