袋町小学校平和資料館

  • 爆心地から460m
  • 鉄筋コンクリート造/3階建・地下1階

被爆前:校舎の竣工

1873年(明治6年)に開校した就将館は、幾度か改称され1922年(大正11年)に袋町尋常高等小学校となり、1937年(昭和12年)に建設された鉄筋コンクリート造3階建ての校舎が新築されました。
この校舎は、下足室や倉庫のある地下室と水洗便所やダストシュートを備えた近代的校舎で、横に連続した窓のある21の教室がありました。
その後、1941年(昭和16年)に袋町国民学校に改められました。


被爆:原爆による被害


爆風で窓が枠ごと吹き飛んだ袋町国民学校の校舎 1945年9月撮影 (提供 朝日新聞)

爆心地から460mの位置にあった袋町国民学校は、木造校舎はすべて倒壊・全焼し、唯一の鉄筋校舎は外郭のみを残し、焼失しました。窓枠も吹き飛ばされたり、湾曲したりしました。
朝礼を終えたばかりの教職員・児童ら約160人は全員が直撃を受け、生き残ったのは数人だけでした。
校舎は、避難場所や救護所となり、階段室の壁面に被爆者の消息を知らせる多くの伝言が残されました。


窓ガラスのない袋町国民学校の臨時救護所で治療を受ける人たち (提供 朝日新聞)


復興:授業の再開

1946年(昭和21年)5月から残った校舎の3階で、児童は37人、教職員は3人で授業が再開されました。
窓にはガラスもなく、床はムシロを敷き詰め、その上に木箱を並べて机にしました。
焼けた板切れを探してきて、墨で黒く塗り、黒板の代わりとして使いました。


現在:平和資料館の開設




袋町小学校は、老朽化が進んだため取り壊されましたが、平成14年(2002年)、被爆した校舎の一部を保存し、袋町小学校平和資料館として生まれ変わりました。
「伝言」の書かれた内壁の一部や爆風で歪んだ鉄製のドアをはじめ、残された貴重な被爆資料を展示しています。


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