広島市郷土資料館(広島陸軍糧秣支廠(缶詰工場))

  • 爆心地から3,210m
  • レンガ・鉄筋造/平屋建

戦前の広島:明治以降の広島の様子

明治以降、広島には陸軍第五師団が駐屯し、軍事的に重要な都市として位置づけられました。1894年(明治27年)の日清戦争に際して、宇品港(現在の広島港)が大陸に軍隊を送り出すための拠点港となって以後、その重要性がさらに増しました。そしてこれ以後、宇品港を起点に、陸軍の諸施設が次々と設置され、広島は「軍都」としての性格を強めていきました。


被爆前:施設の建設

この建物は、広島が軍事都市へと変貌していく中で、1911年(明治44年)に建てられた陸軍の建物の一つでした。
「宇品陸軍糧秣支廠缶詰工場」がこの建物のもとの名前です。「糧秣」の「糧」は兵士の食料、「秣」は軍馬のエサを意味します。これらを調達・製造し、軍隊に補給するのが糧秣支廠の役割で、この缶詰工場では牛肉缶詰が製造されていました。


被爆:原爆による被害

原子爆弾が投下された際には、爆風によって屋根を支える鋼鉄製の垂木が内側に折れ曲がるなどの被害を受けましたが、建物自体の倒壊は免れました。


戦後:戦後の様子

戦後はしばらくの間、民間の会社が国から建物を借り受けて食品の製造を行っていましたが、1977年(昭和52年)に操業を停止し、1979年(昭和54年)以降、国によって廃屋の状態で管理されました。


現在:広島市郷土資料館の開館

その後、広島市が建物と敷地を国から取得し、改修工事の後、1985年(昭和60年)5月に広島市郷土資料館として開館しました。なお、この建物は市内に残る数少ない明治期の建築物で、かつ建築技術や意匠が優れているなどの点から、同年4月に広島市重要有形文化財に指定されました。



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