本川小学校平和資料館
- 爆心地から410m
- 鉄筋コンクリート造/3階建・一部地下1階
被爆前:校舎の竣工
広島市内の公立小学校では最初の鉄筋コンクリート造3階建ての校舎で、1928年(昭和3年)7月に建設されました。
モダンな印象の建物で、竣工時には写真入りで新聞に紹介されました。
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(提供 広島市公文書館)
被爆:原爆による被害
爆心地から410mの至近距離で被爆した本川国民学校は、強烈な爆風と高熱で火災に見舞われ、約400人の児童、10人の教職員など多くが犠牲となりました。奇跡的に助かったのはわずか2人だけでした。
校舎も残骸のみになるほど破壊されました。校舎は、鉄筋コンクリート造で比較的丈夫に造られていたため倒壊を免れました。
被爆の翌日からは臨時救護所となり、多くの被災者が収容されました。
また、校庭では、死亡した人たちが数多く焼かれました。
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(提供 広島平和記念資料館・撮影 林重男)
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(提供 米国国立公文書館・撮影 米軍)
復興:授業の再開
1946年(昭和21年)2月には、最小限の補修をした校舎で授業が再開されました。
被爆校舎は、その後も補修・改修を繰り返し利用されてきましたが、1988年(昭和63年)4月、新校舎の落成とともに、被爆校舎の一部と地下室だけを残して撤去されました。
現在:平和資料館の開設
この被爆校舎の一部と地下室は、「平和資料館」として整備・保存され、1988年(昭和63年)5月に開館しました。地下室を中心に当時の焼け跡が残るなど、原爆の被害を受けた状態をそのまま残し、被爆の「証」として保存されています。
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