多聞院・鐘楼
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明治時期の多聞院(提供 広島市公文書館)


爆心地から1.75キロメートルの地点にある多聞院は、原爆によって本堂と庫裡が大破し、毘沙門堂や山門も倒壊しました。
鐘樓は屋根と天井が破壊され、柱上などに桁を直角に渡した横木(梁)が裂けましたが倒壊をまねがれて、被爆時そのままに保存しています。
爆心地に最も近い被爆木造建造物として永久保存されます。鐘は戦時中に供出して失われていましたが、1949年(昭和24年)8月5日に被爆地の砂を入れて「平和の鐘」として再鋳し、開眼供養されました。
被爆死没者遺族の心のこもった寄進供養のおかげでした。鐘には"No more Hiroshima"の文字、広島市の上空に現出された観音像、光明真言等が刻まれています。毎日朝8時15分の原爆投下の時を期して、慰霊と平和への祈りをこめて撞き鳴らされています。


鐘楼


爆風で破壊された状態が保存されている天井


鐘に刻まれた"No more Hiroshima"の文字

Information

多聞院・鐘楼

  • 住 所
    広島市南区比治山町7-10
  • アクセス
    広島駅から広島電鉄電車(路面電車)「比治山下」下車徒歩1分
  • 爆心地からの距離
    1750m
  • MAP
    [map]
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