原爆犠牲米軍人慰霊銘版
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原爆で死亡した米兵捕虜の慰霊銘板があり、ここには、かつて中国憲兵隊司令部があり、捕虜が収監されていました。銘板は、ロンサムレディー号の6人を含む約10名の原爆犠牲者の冥福を祈るもので、歴史研究家であり、ご自身も被爆者である森重昭氏が発案し、建立されたものです。

1945年7月28日、米軍B24爆撃機ロンサムレディー号、タロア号そして多数の艦載機は広島県呉市を攻撃し、呉港の戦艦「榛名」の対空砲火で撃墜されました。撃たれたロンサムレディー号は山口県玖珂(くが)郡伊陸(いかち)に落ち、機長のカートライト氏などが捕虜となり、中国憲兵隊司令部にて尋問が行われました。その後、機長のカートライト氏を含め3人が東京憲兵本部に移されましたが、1945年8月6日に広島に原爆が投下され、中国憲兵隊司令部に残された米兵捕虜は全員死亡しました。

森重昭氏は、米軍捕虜についての調査を1970年代半ばからはじめ、米軍B24爆撃機ロンサムレディー号の機長であったカートライト氏などの遺族の方々との交流を続けました。そして、1998年7月29日、遺族の代理で米兵の遺影を追悼施設に登録し、米兵が収監されていた場所に慰霊の銘板をに建立されました。

Information

原爆犠牲米軍人慰霊銘版

  • 住 所
    広島市中区基町12-8
  • アクセス
    路面電車「紙屋町東」から徒歩3分
  • MAP
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