相生橋
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戦前の相生橋(提供 広島市公文書館)


1932年(昭和7年)に架け替えた相生橋は、1934年(昭和9年)に橋の中央部分から、中島北端(現在の平和記念公園北端)へ橋げたを伸ばし、全国でも珍しいユニークなT字型になりました。また、そのすぐ南側には、1878(明治11)年に架けられた木造の東西2つの相生橋があり、それが取り払われるまでのわずかの間、相生橋はH字型を構成し、特徴的な景観を形づくっていました。


H型をした相生橋(提供 広島市公文書館)


市街地の中心に位置する相生橋は、原爆投下の目標にされたといわれています。すさまじい衝撃波で橋桁は変形し、北側の欄干は川に落ち、歩道の一部が持ち上がりました。


1945年10月頃の相生橋(提供 広島平和記念資料館・撮影 林重男)


1945年10月頃の相生橋(提供 広島平和記念資料館・撮影 林重男)


相生橋の復旧は、被爆後まもなくからはじめられ、9月7日には路面電車が通りました。


修復された相生橋 昭和25年頃(提供 広島市公文書館)


昭和45年頃の相生橋(提供 広島市公文書館・撮影 明田弘司)


都心の往来を支えたこの橋も1983年(昭和58年)に新しく架け替えられました。
現在、平和記念公園北側の橋詰めには、被爆の痕跡を残す親柱が保存されています。


現在の相生橋


平和記念公園北側の橋詰めにある親柱

Information

相生橋

  • 住 所
    広島市中区基町
  • 爆心地からの距離
    300m
  • MAP
    [map]
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