記憶のバトンをつなぐ~思いをのせて・・・最年少「被爆体験伝承者」増本夏海さん
広島と長崎に原爆が投下されて81年―。被爆者の平均年齢は86歳を超えました。広島市では、その記憶を風化させないために、被爆者に代わって体験や平和への願いを語り継ぐ「被爆体験伝承者」を養成。2026年3月1日現在、262人が活動しています。
その中で、2024年に過去最年少の20歳で伝承者となったのが、増本夏海さん(22)。
好奇心旺盛な今どきの大学生が伝承者を目指した理由や平和への思いを聞きました。
キッカケは「小さな出来事の積み重ね」から
広島で生まれ育ち、ずっと平和教育にふれてきた増本さん。高校3年生になり、両親と進路について話していた時、頭の中に浮かんだのが「平和のために何かしたい」ということ。
自分でも驚くほど自然に出てきた思いから、自分に何ができるか調べていく中で見つけたのが「被爆体験伝承者」の活動でした。
大学生活と両立できるのか…という不安も「自分がやりたいことなんだから、責任持ってやってみよう」と奮起。伝承者へのチャレンジが始まりました。
2年に渡る研修は、苦労の連続、自分ひとりで何が変えられるのか…と自問自答したことも。
さらに、講話の原稿作成も根気のいる作業。1万字にもおよぶ原稿は、担当職員との4往復もの添削を経てやっと完成させることができました。
岸田弘子さんの体験を受け継ぐ
岸田弘子さんと一緒に
増本さんが受け継いだのは、6歳で被爆した岸田弘子さん(86)の体験。
岸田さんの人柄、聴講者を気遣いながら質問に真摯に答える姿に心動かされ、この人の体験を受け継ぎたいと願い出た増本さん。
「私の体験にみなさんそれぞれの思いを乗せて、みなさんの講話にしてください」という岸田さんの言葉は、今も大きな励みとなっています。
被爆体験伝承者として・・・
2024年4月、伝承者としての一歩を踏み出した増本さん。
初めての講話には、家族や岸田さんも足を運んでくれました。緊張と不安を抱えながらの本番でしたが、聴講者からは「こんな若い人も平和活動されてるんだ。自分ももっと関心をもっていこうと思う」といった声が。
岸田さんからも「あなたのような若い人が、こうやって取り組んでくれることがうれしい。そのまま世界に羽ばたいていってください。あなたから平和をどんどん広げていってください」と、うれしい言葉が贈られました。
2~3カ月に1回くらいのペースで回ってくる広島平和記念資料館での定時講話に加えて、依頼を受ければ、学校や公民館に赴くことも。講話の数は、すでに10回を超えました。さまざまなシチュエーションでの講話は、自分にとっての大きな学びになっているとニッコリ。
こんなうれしい出来事もありました。講話を聞いた小学5年生の女の子からの感想文に「私も今日夢ができました。私も増本さんのように平和を発信していきます」の一文が。
「誰かの夢をつなげられるような人になりたい」という1つの夢が、こんなに早く形になったことは、喜びであり大きな自信となりました。
昨年は、大学を1年間休学し、文部科学省の留学支援プログラム「トビタテ!JAPAN」16期生としてドイツ・イギリスに留学。海外の平和教育にもふれました。この経験を活かして、将来的には英語での講話にも挑戦したいと意欲を燃やしています。
夢に向かって奮闘中!!
現在は、安田女子大学の4年生。小学校の先生を目指して 頑張っています。
私だからできる平和教育をしたいんです。将来の一番大きな夢は “平和教育を全国に広めること”。卒論でも取り組んでいるんですが、自分の経験を活かして、独自の平和教育のカリキュラムを作って、それを実際に学校で行うことが夢です。
最年少の伝承者として
確かに最年少という形で注目してもらっているのは ありがたいことだと思っていますが、たまたま私が一番若い20歳だったっていうだけなので。重要なのは、伝承者という活動をもっと知ってもらえたり、私の年齢でも始められるんだと、下の世代の人たちが思ってくれるきっかけになれたらうれしいなと思っています。
平和への思いをつなげていきたい
講話の中で増本さんが伝えている「平和への思い」。
私がこうやって原爆について多くの人に知ってもらおうとしていることは、決して同情してもらうためじゃありません。ただ1人でも多くの人に平和を望んでもらう、事実を、そして核兵器の恐ろしさを知ってもらう。そして、平和を望む人が増え、平和のために行動する人が増える。その連鎖はやがて、距離を超えて、平和からかけ離れた日々を送る人、後世を生きる人にもつながってほしい。
「死ぬまで伝承者ですから。あと80年はできるんです、伝承講話が」と、目を輝かせる増本さん。
岸田さんから増本さん、そして次の世代へ・・・平和を願うバトンは、確実に継がれていくことでしょう。