木の声をきく―樹木医 堀口力さんインタビュー

ご自宅の庭で 広島市役所敷地内にある被爆樹木「ソメイヨシノ」の二世と


原爆の惨禍を乗り越えた木々が、今もなお 生き続けています。
広島市では、爆心地から概ね2㎞で被爆し 再び芽吹いた樹木を「被爆樹木」として登録。その数160本。アオギリ、ユーカリ、クスノキ、ソメイヨシノなど種類もさまざま。「75年は草木も生えない」と言われた広島で、木々の芽吹きは人々に生きる勇気を与え、被爆80年を来年に控える現在も、“もの言わぬ証人”として、平和の大切さを世界に発信し続けています。
その手入れに長年携わっているのが、樹木医の堀口力さん(78歳)。
広島市のご自宅を訪ね、被爆樹木への思いを聞きました。

運命の出会いに導かれて

宮崎県出身の堀口さんが、広島で被爆樹木の保全活動に携わるまでには、数々の運命的な出会いがありました。

大学4年生の夏。どんな職業に就こうか全く白紙状態だった堀口さんは、屋久島を訪れ、その半年前に発見されたばかりの「縄文杉」と対面。

感動しましてね。当時はまだ、写真機も特別な人しかもっていなかった時代で。ただただ、頭の中に焼き付けて。この木のすばらしさにものすごく感動しました。

この体験が、堀口さんを“緑にかかわる仕事”へと導きました。
福岡での修行を終えた堀口さんは、さらに庭師の道を究めるべく、広島の造園業者に就職しました。
当時の仕事は、公共的な場所への樹木の植栽や公園づくりなどが中心で、個人宅の庭園を手掛けたいと訴える堀口さんに社長は、
「広島に緑を植えるということは、平和を訴える そういう作業なんだよ。」と。
その言葉で、堀口さんの意識は、“広島の平和と緑”へと向かっていきました。



28歳の時、さらなる運命の出会いが。
日本初の「樹医」山野忠彦さんと一緒に仕事をする機会を得た堀口さんは、山野さんに尋ねました。
「先生、木と付き合うために、木を治療するためにはどうすればいいんですか?」
「木の声を聞きなさい。
君は樹木に対して優しい目を持ってるから、広島の原爆から生き残った木を守ってみてはどうか。」

堀口さんは被爆樹木を守っていくことを生涯の仕事にすることを決心しました。
木の声を聞く―山野さんの教えは、堀口さんにとって大切な指針となりました。
1992年、堀口さんは広島県内で初の「樹木医」となりました。
手探り状態からのスタート。

『樹木医学』という学問そのものもまだ未成熟ですし、樹木を研究するのにも長い時間がかかる。樹木自体もスパンが長いでしょう。研究室の中でいろいろやってもですね、すぐ結果が出るものでもない。野外に行って、観察しながら、分析しながらといった長期的な作業。だから、樹木医って“医”と言っても、職人の世界ですよ。

被爆樹木を守っていくうえで心がけていることは

まず第1点は、形を変えないこと。
傷口があって腐ってきていたら、その箇所を削れば一見こぎれいにはなるけれども、樹木に傷をつけて綺麗にする、そういう処置はしない。
枝の剪定も、必要最小限度の形で。木の命を守るために必要なこと以外に、例えば形を整えるといった庭木的な手入れはやらない。

第2点は、お金をかけないということ。これがとても大事なこと。
植物を育てようとすると、どうしても手をかけすぎるんです。
水や肥料をやり過ぎて、ことごとく失敗する。

その活動には、世界からも注目


広島市役所敷地内にある被爆樹木「ソメイヨシノ」


昨年5月には、先進7カ国首脳会議(G7サミット)で広島を訪れた首脳たちが、堀口さんが接ぎ木して育てた“被爆桜”の二世を平和記念公園に植樹。
母木は、広島市役所敷地内にあるソメイヨシノ。今も、毎年春になると可憐な花を咲かせ、市民の心を和ませています。

平和の聖地であるあの場所に被爆樹木を植えられたのは感動でした。
世界のリーダーが率先して、二度と核兵器が使われることのない世界を作っていってもらいたいですね。

「とにかく多くの方に知ってもらうというのが大事なこと」と語る堀口さんの活動は、被爆樹木の保全に留まらず、その活動のフィールドは世界へと広がっています。
ロシア、フランス、スイス・ジュネーブの国連ヨーロッパ本部など世界各国に足を運び、被爆樹木を通して平和の大切さを訴えている堀口さん。

我々が広島で思う以上に、世界の人たちの反応は大きいですね。
『広島で原爆に遭った木の種、二世の苗を持ってきました。』って言うだけでいい。くどくどと説明をしなくても、敏感に反応してもらえるんですよ。

今年5月には、ノルウェーを訪れ、オスロ大学などで講演される予定。
被爆樹木を通じた平和の輪は、どんどん広がっています。

活動をしていて苦労は

はっきり言いまして、自分の仕事っていうのは苦労と捉えることはないんです。
人からは苦労と見られるかもしれませんが、自分は楽しみながらやってるので。
いろいろな問題も発生しますけれども、それを解決することが楽しみなんです。
自分は植物とふれ合うことが好きなんですね。

今後やってみたいことは

自分としては、歴史的価値のある被爆樹木にある程度の期間、関わりが持てたということが大事なことで、そこに痕跡を残すつもりは毛頭ないんです。
なるべく、私の存在というのがない状態で守っていきたい、そんな感じですね。

被爆樹木と付き合い始めた頃から今では、周囲の状況も反応も変わってきておりますが、それはそれとして、淡々とやっていきたいというのが私のスタンスです。

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