【ピースツーリズム】原田浩さんーピースツーリズムのけん引役ー
ピースツーリズム推進懇談会座長として奮闘
ご自身も6歳の時に爆心地から約2キロの広島駅で被爆、戦後は広島市役所職員として長く平和行政に携わってこられました。1993年に広島平和記念資料館の館長に就任し、戦後50年の米国での記念展、原爆ドームの世界遺産登録へも尽力した原田浩さん。現在は、ピースツーリズム推進懇談会の座長として、国内外からの来訪者の方々に核兵器の恐ろしさを伝え、どのように平和への想いを共有してもらうのか、「ピースツーリズム」という広島市役所の事業にご協力頂いています。
ピースツーリズムのあり方について、お話を伺いました。
ピースツーリズムに期待すること
平和の情報発信機能の強化を
今までの広島市の施策に加え、平和の発信機能をより強いものにしたいと考えています。核兵器を再び使ってはいけないという被爆者の願いをしっかり受け止め、市民一人ひとりが関わる仕組みを作ることが大事です。そのためには、被爆体験を原点として、原爆の悲惨さから目をそらしてはいけないと思っています。
五感を使って体感できる仕組みを
被爆者の一人としては、平和記念資料館の展示は、原爆の恐ろしさをもっと体感として伝える展示にしてほしいと思っています。来訪者の方々には、あの8月の炎天下の中、自分の身体に何が起こったか分からないまま一瞬にして全身を焼かれ、無残な死を遂げた数多くの市民、それを目の当たりにしても救うこともできないままかろうじで生き残った人々がどんなに無念だったのか、展示をこえて想像してほしいものです。
ピースツーリズムは、被爆建造物を中心としたルートなどを提案していますが、実際に被爆した建物の中に入って感じるものは極めて大きいと思います。実際に見、聞き、触れて、感じてなど、当時の状況を五感で受け止めてほしいですね。そういう意味でも、被爆建造物や被爆樹木を残し、次世代に伝えていくことは大きな意味があります。
市民ひとりひとりがメッセージを伝える仕組みを
国内外から多くの人をお迎えしたとき、やはり市民一人ひとりがおもてなしの心をもって、自分の言葉で想いを伝えるという気持ちを持ってほしいです。ピースツーリズム推進事業の展開によって、その役割を担って頂きたいものです。
現在では被爆者が少なくなり、多くの市民は被爆を体験していません。行政が先頭に立って市民の平和への関心を掘り起こし、お互いが思いやりの心をもって、来訪者に接してほしいと願っています。それが結果的には、広島の活性化につながるのではないでしょうか。
2045年の広島の姿はどうなっているか
1995年に広島平和記念資料館の館長だった頃、2045年つまり被爆100年後に向かって市民のメッセージを残そうという事業を行いました。50年後の自分や家族への願いを葉書に書いて投函してもらい、それを一冊の本にまとめて出版しました。それが「ひろしま 21 世紀へのはがき」です。
市民のこの事業への関心は極めて高く、約10万通のメッセージが寄せられました。当時の広島市は、約44万世帯でしたから、およそ4世帯に1枚の葉書が寄せられたことになります。本来なら、審査に当たっては専門家に依頼するのでしょうが、この時は広島市職員が自分の心を打たれたものを選びました。
今でもこの本を紐解いてみると重みがあります。葉書の文面が、心に残ります。
驚いたのは、市内の小学校からのもので、一枚一枚の葉書を並べて大きな平和のメッセージを作ってくれたものでした。それぞれの葉書に小さなメッセージが書かれているんですよ。まとめてみると大きな原爆ドームの絵になるのです。
行政としては、こういう市民の声を集め、施策として展開してほしいですね。ピースツーリズムでは、このような市民のみなさんの想いを結集し、温かい気持ちで国内外の多くの方々をお迎えするよう、考えていきたいものです。
被爆建造物を残すことについて
90年代に、広島市として被爆建造物をどういう形で残すのかという議論が起こりました。そこで残っていた被爆建造物を台帳に登録し、保存していく制度を立ち上げました。その被爆建造物の一つが、袋町小学校でした。
当時、残すか残さないかでずいぶん議論になりました。残し方についても、賛否両論でした。
最も理想的な形で残せたとは思いませんが、なんとか「平和資料館」として残すことができました。
小学校は、地域に根付いていますから、市民のみなさんと一緒になって平和問題を考えていける場所になっていると思っています。その他、本川小学校の校舎の一部を被爆建造物として残しています。
最近では、地元の方々や平和記念資料館も加わって、館内の展示物のリニューアルをしています。
多くの来訪者を迎えるに当たっては、施設の説明板などの様式を統一することや、英文表記の問題などにもとり組む必要があります。
東日本大震災の被災建造物保存にも一役
更には、東日本大震災で被災した地域での震災遺構の保存に携わっています。何度も現地に行って、建物を残すためのノウハウを伝えています。
被爆建造物の保存では反省点も多かったのですが、震災地域の方々が調査に来られた時に、袋町小学校など保存してきた施設を案内すると、「こんな保存の仕方もあるのか」と言ってくださり、一つの大きな見極めの材料となったのかと思います。
壊すのは一瞬ですが、二度と再建できません。一旦住民の方々の視野から消してしまうと、辛かった体験を伝えることは難しくなってしまいます。壊す前に、時間をかけて議論を尽くしてほしいと思います。壊すのは、その後でいいんです。
広島を訪れる旅行者へのメッセージ
広島に来てくださるということは、被爆体験がどういうものであったのかということを「自分のもの」にしていただきたいですね。「自分のもの」にするということは、体験を共有することになりますし、それがひいてはどのように平和を構築していくのかを考えることにつながるんだと思います。
お迎えする広島市はもちろん、や市民も、悲惨な体験から決して目をそらすことなく、協働して多くの人に平和へのメッセージを発信していってほしいと思います。